これはイリュージョンであるという認識

朝より夜の方が感情的にも悲観的にもなる。身体がなんとなくレベルでも疲れている時も同様。ましてや両者が合わさった時の発想なんてろくなもんじゃない。それは自分の発想であるが全てではない、何なら自分じゃない、と認識しておくことが、飲み込まれない方法のひとつかな、と思う。

黙って寝ろっつーのが最善解だったりすんだけど、そーいう時って寝られなかったりするよね。なんでそんな時に、「うんこれは夜と疲労の作り出すイリュージョンである」とかなんとか思うと、冷静になれることがある。よかったらやってみてね。

恋とピアス

好きなまま終わった恋と、知らない間に片っぽ無くしてしまったピアスは似ていると思った。

もしかしたら見つかるかもしれない、と思って取っておくんだけれども、結局出てこない、みたいな。

はは。
ということで、今日ふとトイレで鏡を見ると、片耳に無くしたピアスの片割れ、もうひとつの耳に違うピアスがついていたので、残していた片割れを処分しましたw

未練がましく残しておくと、時としてろくなことにならない、という点まで似ている。w

バランスってやつ

ものぐさズボラな私ですが、2年ほど前に買ったアロマディフューザーだけは何かちょこちょこ使い続けています。
あまりにも眠れない時が続いて、何とかならないものかとアロマにたどりついた訳ですが、おかげでふっと眠りにつけたりして助かっています。

物事何でもバランスで成り立っているのだと最近つくづく実感するのですが、思考をつかいすぎた時には感覚をつかうことを意識するとメンタルや体調が落ち着くような気がします。
例えば意外と頭をつかって疲れた時には、においをかぐ、とか、ほわほわした触感をたのしむ、とか、そういう肉体的感覚的な行為を意図的に取り入れる、ってことです。あとは身体を動かす、とかね。

余談ですがこれに気づいた時には、自分が突然歩きながら踊ってみたくなったりするのは多分私が日頃から意図するしないを問わず頭をぐるぐるさせているタイプなので、知らない間にバランスを取ろうとしていたのか!とひとりで妙に納得したのです。高校時代に先生に「お前を見てるとバカと〇〇が紙一重というのがよく分かる」と言われたことがあるのですが、そのよく言われる「バカと〇〇は紙一重」という言説が成り立つ背景は多分これです。そう。バランスなのです。一方に突出しているのであれば、他方でも何かしら突出させないとバランスが取れなくなってしまうのです。

ということで、皆さまも行き詰まったり疲れたり何だかモヤモヤするときには、その近々に取り組んでいたことと対称的なことを意図的になさるとよいと思います。お試しください◎

Close my eyes

悩んだり嫌な気分になった時は、それが自分の力で解決できることなのかどうか考えるように最近心がけている。例えば明日雨降ったらやだな、って思った時とか、でも天気は自分の力で左右できるもんじゃないな、って。

んでできることは何かなと考える。例えば雨でも気持ちが明るくなるようにかわいい服着よう、とかね。

昔は嫌なこと全部にがむしゃらに立ち向かおうとしていた。消化できない自分が何か嫌だった。雨がやだなと思ったら、それを嫌だと思っている自分が嫌だった。嫌なもの・苦手なものがある自分、が嫌だった。

でも最近は、嫌なら見なければいいんだ、と思えるようになった。
余計なものを見ずに、自分の中を見る、みたいな。
人がいると幸せだ。けれど、人と比べて悩むこともある。

そういう時は、目をふさぐ。
見なけりゃいいのよ。笑

心を乱すものから離れて
目の前の自分が今できること・やることに取り組んでると
いつの間にか楽になっている、
ということを少しずつ覚えつつある30半ば。

人生における可処分時間の振り分けられ方について

以前、文字を読むスピードを測定してもらう機会があって測ってもらったところ、平均値のおよそ2倍であることがわかった。

元々のものなのか、本をはじめとする文章を読むのが好きだから鍛えられてきたのかは分からないが、限られた人生という時間の中で、速く読めるということはその分大好きなものをたくさん読めるということか、と思って嬉しくなった。

さて先日。
取れたズボンのホック(ハイ!ここでツッコまれると泣いちゃうからやめてね!w)を久しぶりに針と糸とでチクチクしたのだが、まあ時間がかかるかかる。
元々手先は高倉健さんか私か並に不器用で、日常の動作でもみんながサッサとできることに対して異常にトロいということがよくある。

ということは、、、
何か読んだり考えたりとかをスピーディにこなせたとしても
日常の色んな動作が遅いもんで、
結果としてトントンやーん。

んでも、誰でもできることできないことがあって
ついついできないことに目を向けて泣けたりするんだけれども
だからこそ助け合えたり補い合えたり
足りないところが逆に愛しかったり
そんなことがあるんだろうな、とも思ったりする。
(自分のことについてはなかなかそうは思えなかったりするのでトレーニング中だけど。)

しかし、裁縫もそうだけど、掃除とか整理整頓とかも異様に苦手で、毎日生きていくにあたって必要なスキルが不得意というのはなかなか生きづらいな、とも思う。
(´・ω・`)

f:id:ponpoko55:20170429093010j:plain

力になれることがあるんだな

さっきコンビニで、困った風のアジア系男性から「Do you speak English?」って話しかけられた。
ちょっとだけ、って答えたら、「(今僕が持ってるパックの飲みものは)牛乳?」ってなって、そうですよ、って答えたら「味付きではない?」ってなったので、ええ、味付きではないです、って答えたら、すごくホッとした顔でThank you!!って言うてはった。

違う話になるけれど、自分が小さい頃に、抱っことか足もってとかでぶんぶんしてもらうのすごいすごい楽しかったなあっていう記憶があるので、ちびっこ達と遊ぶ時になるべくやったげよ、って思ってるんやけど。
(ご両親は日々お世話大変だからね、たまに遊ぶババアがやったげたらいいかなーと思っている)
先日友達の子供をぶんぶんしていたら、すごく喜んでくれたんやけど、「重たくないの?」って心配してくれて(やさしい、、)、力持ちやから大丈夫!って答えた。

中途半端な英語とか
力持ちとか
何の役に立つんだろう、ううううう、と思っていたのだけれど
(特に力持ちなんて、女子としてはデメリットでしかないと思っていたね)

それで喜んでくれる人がいて、
なんか、
よかったな、
と思った。

多分イラチってやつ

キンキのしゃぶしゃぶという美味なるものをご馳走になり、シメの雑炊が残り僅かになった時点で、土鍋を持ち上げて器によそいきったところ、ぶはっと笑いが起きたので何ぞ?と思ったら、「(こういう店で)鍋持ち上げてよそうの初めて見たwww」つってさ。えっじゃあみんなはどうしてるん…あっ!鍋置いたままお玉で何回もすくうんか、と気づく。

そういやどこに行っても「飲みっぷりがいいねぇ~!」って言われるんやけど、仲いい友達と飲んでる時にも改めて言われたので、一体何が飲みっぷりいい感じする?と聞いたところ「(フィニッシュ時の)グラスの角度じゃない?」とのこと。大体みんなグラスの側面と床とが並行になるぐらいで止めて、残りが流れてくるのを待つけれど、私は天井に向かって50度ぐらいの角度がついているようであった。

まぁ、、、
多分これからも
鍋は持ち上げるし
フィニッシュ時には上を向いているんだろうな、
と思う。

f:id:ponpoko55:20170312094832j:plain