好き嫌いと正義

連日悲しいニュースが起こっていて
何だろうどうしたらいいんだろう何でこうなっちゃうんだろう、と思うことが山ほどあるんだけども。

人の争いの根源的な原因のひとつとして、
単なる好き嫌いや、単なる違いの問題を
善悪に結び付けてしまう、
ということがあると思う。

好き嫌いは誰にでもあるし
違いなんてあって当然。
なので、それが悪い訳では全然無いんだけども。

例えば
「私は人参が嫌いなの」
なら、ああそうなんだね、で終わるけど
「人参が嫌いなの、だから人参が好きって言ってる人の意味が分からない頭おかしいんじゃないかって思っちゃう」
だと、「はぁ!?」って感じる人おるよね。

日本ではトイレに紙を流すのは当たり前だけれど
海外では流さないところもあって
それはそれぞれの文化風習や、物理的な背景(下水管が細い、とか)もあってそうなってるのに
「いや~そんなのおかしいでしょ!汚いでしょ!ありえない!」
って言っちゃうと
「何だと・・・!?」ってなっちゃいますよねそれは。

好きや嫌いはあっていい。
自分の所属しているとコミュニティに誇りと自信を持つのは素晴らしい。

ただし、それを絶対視しないこと。
正義だと思わないこと。

「自分はこうだけど、それもいいね」
って相手のことも尊重してあげられるのが理想的だけれども、そこに到達する最初の段階として
「自分はこうだけど、あなたはそうなんだ、ふ~ん」
ぐらいから始めるといいんじゃないかな、と思います。