力になれることがあるんだな

さっきコンビニで、困った風のアジア系男性から「Do you speak English?」って話しかけられた。
ちょっとだけ、って答えたら、「(今僕が持ってるパックの飲みものは)牛乳?」ってなって、そうですよ、って答えたら「味付きではない?」ってなったので、ええ、味付きではないです、って答えたら、すごくホッとした顔でThank you!!って言うてはった。

違う話になるけれど、自分が小さい頃に、抱っことか足もってとかでぶんぶんしてもらうのすごいすごい楽しかったなあっていう記憶があるので、ちびっこ達と遊ぶ時になるべくやったげよ、って思ってるんやけど。
(ご両親は日々お世話大変だからね、たまに遊ぶババアがやったげたらいいかなーと思っている)
先日友達の子供をぶんぶんしていたら、すごく喜んでくれたんやけど、「重たくないの?」って心配してくれて(やさしい、、)、力持ちやから大丈夫!って答えた。

中途半端な英語とか
力持ちとか
何の役に立つんだろう、ううううう、と思っていたのだけれど
(特に力持ちなんて、女子としてはデメリットでしかないと思っていたね)

それで喜んでくれる人がいて、
なんか、
よかったな、
と思った。

多分イラチってやつ

キンキのしゃぶしゃぶという美味なるものをご馳走になり、シメの雑炊が残り僅かになった時点で、土鍋を持ち上げて器によそいきったところ、ぶはっと笑いが起きたので何ぞ?と思ったら、「(こういう店で)鍋持ち上げてよそうの初めて見たwww」つってさ。えっじゃあみんなはどうしてるん…あっ!鍋置いたままお玉で何回もすくうんか、と気づく。

そういやどこに行っても「飲みっぷりがいいねぇ~!」って言われるんやけど、仲いい友達と飲んでる時にも改めて言われたので、一体何が飲みっぷりいい感じする?と聞いたところ「(フィニッシュ時の)グラスの角度じゃない?」とのこと。大体みんなグラスの側面と床とが並行になるぐらいで止めて、残りが流れてくるのを待つけれど、私は天井に向かって50度ぐらいの角度がついているようであった。

まぁ、、、
多分これからも
鍋は持ち上げるし
フィニッシュ時には上を向いているんだろうな、
と思う。

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羽ばたかせる方法についての考察(あくまで一部)

以前共にお仕事をさせて頂いていた方で、大変素晴らしいと思う方Aさんがいらした。

そのAさんの部下からお伺いしたのだが
「Aさんが前に優秀な部下のマネージメント方法をおっしゃってたんですよ。『ほっとくこと』だそうです」
と聞いて、ポン!と膝を打った。
(もちろん、ほったらかし、とは違う)

知人がこれまた大変優秀な娘さんをお持ちで、大学2年生にして、希望者が殺到し過ぎるであろう企業さんからオファーが山積み、そして恐らく自分でも何かできるだろう、という状況で、
「でも1回ぐらいは大きい企業に入って経験積んだ方がいいかな、どう思うママ?」
と聞かれて、ううーんでも某大企業もあんな状況こんな状況が続く中で、どう答えたらいいのか、とおっしゃってたので

「好きなようにしたらいいよ、何をしてもあんたの味方やで、って言ってもらえたら嬉しいんじゃないかな、と思います」

とお伝えした。

人を伸ばす、ないしは奮い立たせるもののひとつが「信頼」だと思う。
事実、(この言い方は好きではないが)エリートと言われる人ほど、幼い頃から岐路に立った時に
「あなたのことを信じてる」
と言われてきた、というケースが多いという事実があるようだ。
善良な人ほど、信頼を寄せられると、信頼で応えたくなる傾向にあると感じる。
(ただし、期待を含まないこと)

余談だが、過去にやんちゃをしていた子が大成するという例。
こちらはエネルギー量としては爆発的なものを持っているので、方向性さえちょいっと変えるだけの話だと思う。
これも指し示し過ぎると反発がくるので、圧倒的な尊敬の念を持つ人・ないしは出来事に遭遇すること。
もしくは、顕著ではないけれどただ確実に方向性を指示する(カーリングで、こすった跡は見えないけれど方向性を変えているイメージ)、のも方法のひとつだと思う。

3月始まったピヨー。
季節の変わり目ですね、体調管理に気をつけて、甘くて優しい素敵な春をお迎えください。ピヨピヨ。

見てること、見せること。

いくら才能があろうが
いくら優しかろうが
それを表に出さなければ
無いのと同じになることがある、
と思った。

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とあることで、なかなか思うように物事が進まず
何故なのか試行錯誤しながらうんうんしていたが、
最終的に、それまでで一番いいものに
落ち着きそうな流れが出てきた。

一生懸命頑張ってても
不本意な結果に終わる時、
それは神様がもっといいものがあるよ、
と教えてくれているのでは、
と自分に言い聞かせながらも
でもやっぱり悲しいし辛いし
ほんまかなぁ、、、と思っていたけれど
どうやらほんまらしいです。

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昔、みんな使うけれど
誰が補充するとも決まっていないポットに
いつも決まってこっそり、お湯を入れてくれている方がいた。
目立つタイプでもない方で、
本当にひっそり。
ある時、たまたまお湯を入れてもどられてきたタイミングで
近くに行くことがあったので、
「いつも変えてくださってますよね、
本当にありがとうございます」
って伝えたら
すごく照れながら、でも嬉しそうに笑ってらっしゃった。

目立たないところでいいことをしていて
それは決して誰かに恩を着せようとか
見返りを求めてやっているのではないけれど
たまに空しく感じることも、
もしかしたらあるかもしれない。
神様は見てるよ、と言われても、
報われないような思いを持つことも
時にはあるかもしれない。

だからこそ、
そんな陰の善行を見つけた時には
きちんとありがとう、嬉しい、
って伝えたいなぁと思っている。
見てる人は見てるよ、が
ほんまなんやなぁ、と実感できると、
私はとても嬉しくて励まされるのだけど、
そういう機会ってなかなか無かったりするし
そんななかなか無い機会を
自分が作り出せるなんて
すごいことやと思うし
ましてやそれで喜んでもらえるなんて
ええことしかないやん!と思うんであります。

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ここしばらくまた大変な冷え込みようですが、
暖かくして、楽しい週末を◎

受け継がれてゆくもの

特に作り方を教わったわけでも、もちろんレシピがあるわけでもないが、母の作った鮭の混ぜ寿司の味が、自分が作ったものとよく似ていた。

人から人へ、こうして感覚的に受け継がれていくものがあり、そしてそれぞれがそうしたものを持っているのだろうな、とふと思った。

あけましておめでとうございます。

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手放す

長く続けてたことを終わらせるのって難しい。

自分でも楽だったりするし
周りも極端に盛り上がる訳ことはなくても、
それなりに安心感や安定感があるし

小さな頃から使い込んだ毛布がボロボロであっても
慣れ親しんだ温もりを自ら手放すのは
とてもとてもパワーがいるのだ。

だってぬくいし。
ずっとそばにいたし。
ボロボロだけど。

ずっと包まれてきたもの
築いてきたもの

自らの決断で手放すことの辛さ。

手放した後も
周りからの声
寒いところに突然飛び出る厳しさ
色々あるかもしれない。

だけど
もっとフカフカの毛布も、あるかもしれない。

自分の中の居心地の良さ、
だけど、少し感じていた違和感

居心地良さに包まれるのもありだけれど、
違和感から目を背けない姿勢、
私はその強さに惹かれる。

ほし

洗濯などでたまに夜ベランダに出た時に、
星を眺めることがある。

何等星ぐらいまで見えてるのかな
自分で光る星なのか
他の光を受けて輝いているのか

今見ている光は、何年前に発光されたものなのかな
何年前から輝いているのかな

きらきらしてるな
ちょっとチカチカしてるのもあるなぁ

あれは星雲なのかなぁ

ぽんやりとそんなことを考えながらふと、
もしかしたら私が見ている星の方でも
例えば恋する乙女が
悩みを抱えながら切なく星を眺めているかもしれない、と思って
見えないだろうけど、小さく手を振っておきました。

それではみなさま、おやすみなさい。
Sweet dreams.