ひとり焼肉と痴話喧嘩

私は肉を焼いている。

一人で大体どんなところでも入れる私だが、ひとり焼肉だけはハードルが高い。まずカウンターがあるところが少ない。しかし何より最近感じるのは、焼肉はひとりだとコスパ悪いんだよね。一品の単価が高いから種類が頼めないっていう。(1枚ずつ頼めたり、回ってたり、ひとり用のお店もあったりはするけれど。)

ひとり焼肉と言えば以前友達が、ひとりで焼肉屋に入る時に、途中でかかってきてもいない携帯に出るふりをして、あたかも来る予定だった友達が来なかった風を装ったと話していたのだが、、、私もその経験があったのでめっちゃウケた。さらに私なんかあれやからね、淀川の花火あるの知ってて見たくてひとりで行ったのに、あくまで仕事帰り「あっ今日花火やったな~忘れてたぁ!」ってなった人装ったことあるからね!!!!!だっれも見てない小芝居ひとりで打ってやったわ!!!


で、今日は堂々とひとり焼肉を実施している訳だが、各席に半個室のような仕切りがある(私の席だけだいぶオープン。。)。
で、向かいの仕切りの中から、女性の涙混じりの叫び声的なものが聞こえてくる、、初めは食器も二人分っぽいし、ああ私より少し上のカップルの痴話喧嘩か、と思っていたのだが、、よく見ると

向かいの席の方がいらっしゃらない。
(  Д ) ⊙ ⊙

ツレの方と色々あってツレの方が先に帰って友人に電話で聞いてもらってんねやろなーとかいう思いとか叫び声とかそんなのもろもろと煙に包まれながら、私は肉を焼いている。

真摯な人生が紡ぎ出す言葉

自分から話しかけることも多い方だとは思うけど、話しかけられることも割と多いと思う。
(ひとりでウロウロしてることが多いからかもしれないけれど。)
ということでスーパー銭湯の露天風呂に入っていたら、おばあさんが話しかけてきてくださった。

私はね、身寄りには頼れなかったから、自分のことは自分のお金できちんとしておきたかったの。
でも、周りからしたらワガママだったかもしれないわね、お産でもみんなが1~2週間で出るところを、私は帰っても誰にも頼れないからね、「1ヵ月いさせてください!」って頼んだりね。笑
だけどね、自分の信念を持って決めてきたからね、ああしておけばよかった、とかは無いのよ。
私の主人は身体障がい者だったの。だからね、また頑張んないとってね。
主人を看取ってから17年になる。主人が最期ね、病院じゃなくて家に帰りたい、帰りたいって。私もすごく悩んだんだけど、息子にもね、「それは自分で決めなさい」って言われたの。それでね、家で過ごしたんだけど、最期は「幸せだ、幸せだ」ってずっと言ってくれてた。
77才で車の免許は返上したの、自分が何か事故でも起こしたら、子供達に迷惑がかかるな、と思ったから。
だけどバスも上手に使うと便利よ!楽しいわよ!
最近はね、自分だけのことを考えてる方多いでしょう、だけどね、やっぱりね、人のために何をしてあげられるか、だと思うわよ。そっちに考え方を切り替えないとね、やっぱり大変だと思う。
よくお友達も家に遊びに来てくれるの。
うちの家、日当たりもよくてね、風もよく通って、窓からは花火大会が見えたの。
ああ、幸せだなあ、って。幸せよね。

そんなおばあさんは83才。
ボーイフレンドと一緒にお風呂にいらしてた。

私、本を読むのが大好きだけれど、
人生を真摯に生きてこられた方のお話には、名著と呼ばれるものに記されていることと同じことが含まれることが往々にしてある。

しかしおばあさん、かっこよすぎ。
そらボーイフレンドもおるわ。

「今日はあなたみたいないいお顔の人とお話ができてよかった、ありがとう」

最後のセリフまでかっこよすぎ。
おばあさん、、、こちらこそ、ありがとうの言葉すら何だか薄っぺらいです。言葉は心を越えない…
でも、ありがとうございました!!!!!

抽象と具象

抽象と具象を自由に行き来できる人、が賢いと思う人のひとつ。

具体的事象からエッセンスを抽出できて、かつそれを様々な具体的事象に当てはめられること。

抽象に偏り過ぎて尊大になるのもふむ…?と思うし
具象に囚われて俯瞰できないのもふむ…と思う。

抽象も具象もどちらも必要で、それは選択ではなく両輪なのだ。

ぷいぷいぷーい。(←言いたかっただけ)

七夕さん

七夕さんでしたね。

小さい頃は1年に1度しか会えないなんてかわいそう、少し大きくなってからは年に1度の逢瀬がよりによって梅雨の時期なんて、、と思いながら夜空を見つめていましたが、ある本で人間の寿命に換算すると〇秒に1度の割合になると知って「わははそれならたまに会われへんくても大丈夫かw」と思えるようになりました。w

でもきっと、織姫と彦星に自分を重ねたり、何かを思い出したり、切なくなったりじんわりきたりホロッときたり逆に今の幸せを噛みしめたり、色んな思いを抱えながら夜空を見ている人がいるかもな、と思うと何とも愛おしいなと思いました。

どんな思いを抱えていても、幸せに幸せになってほしいな。

※空を撮ったけれども全く何もうつっていないこの残念さをどうぞお楽しみください。w

これはイリュージョンであるという認識

朝より夜の方が感情的にも悲観的にもなる。身体がなんとなくレベルでも疲れている時も同様。ましてや両者が合わさった時の発想なんてろくなもんじゃない。それは自分の発想であるが全てではない、何なら自分じゃない、と認識しておくことが、飲み込まれない方法のひとつかな、と思う。

黙って寝ろっつーのが最善解だったりすんだけど、そーいう時って寝られなかったりするよね。なんでそんな時に、「うんこれは夜と疲労の作り出すイリュージョンである」とかなんとか思うと、冷静になれることがある。よかったらやってみてね。

恋とピアス

好きなまま終わった恋と、知らない間に片っぽ無くしてしまったピアスは似ていると思った。

もしかしたら見つかるかもしれない、と思って取っておくんだけれども、結局出てこない、みたいな。

はは。
ということで、今日ふとトイレで鏡を見ると、片耳に無くしたピアスの片割れ、もうひとつの耳に違うピアスがついていたので、残していた片割れを処分しましたw

未練がましく残しておくと、時としてろくなことにならない、という点まで似ている。w

バランスってやつ

ものぐさズボラな私ですが、2年ほど前に買ったアロマディフューザーだけは何かちょこちょこ使い続けています。
あまりにも眠れない時が続いて、何とかならないものかとアロマにたどりついた訳ですが、おかげでふっと眠りにつけたりして助かっています。

物事何でもバランスで成り立っているのだと最近つくづく実感するのですが、思考をつかいすぎた時には感覚をつかうことを意識するとメンタルや体調が落ち着くような気がします。
例えば意外と頭をつかって疲れた時には、においをかぐ、とか、ほわほわした触感をたのしむ、とか、そういう肉体的感覚的な行為を意図的に取り入れる、ってことです。あとは身体を動かす、とかね。

余談ですがこれに気づいた時には、自分が突然歩きながら踊ってみたくなったりするのは多分私が日頃から意図するしないを問わず頭をぐるぐるさせているタイプなので、知らない間にバランスを取ろうとしていたのか!とひとりで妙に納得したのです。高校時代に先生に「お前を見てるとバカと〇〇が紙一重というのがよく分かる」と言われたことがあるのですが、そのよく言われる「バカと〇〇は紙一重」という言説が成り立つ背景は多分これです。そう。バランスなのです。一方に突出しているのであれば、他方でも何かしら突出させないとバランスが取れなくなってしまうのです。

ということで、皆さまも行き詰まったり疲れたり何だかモヤモヤするときには、その近々に取り組んでいたことと対称的なことを意図的になさるとよいと思います。お試しください◎