引き算の美学

カレーを作った。
いつもルーを入れる前に入れるコンソメを入れて炊くのだが、今日は入れなかった。

大根・白菜・ごぼうと牛バラの煮込みも作った。
大体この組み合わせだと甘辛味にすることが多いのだが、今日は酒と塩だけで作った。

服とかでもそうだけれど、
最近「引き算の美学」に心奪われる。
足して足して足して作り上げていくものから、
削いで残して磨き上げていく、とでもいうのか。

しかしこの引きの美学も、
足して足してした経験がベースにあるからこそ
何を残すか、の判断ができるようになった、
ということもあるのだと思う。

無駄な経験というものはなくて、
経験を無駄にするかしないかは、その後の取り扱い方なのだろう。

一方、思い立って、カレーにミックスジュース入れてみた。乳製品入ってない、パックに入った果汁100パーセントのやつ(今日のは桃・りんご・バナナ・オレンジ・パインのミックス)。私カレーはベース甘めが好きなのでどんぴしゃ。

引く一方で、新たに足すことに挑戦する姿勢も忘れたくないな、と思う。

なぜ自分を大事にしなくてはいけないのかのちょっとしたヒントをもらえた気がする

大学の時の友人から超久しぶりにご連絡を頂いて、とても喜んでいる。
こういうの、SNSのいいところだなと思う。

私は初め夜間で入ったので、
色んな世代の方、色んな事されてる方がいらした。

父と同世代の友達に、下の名前でニックネームをつけてかわいがって頂いたり、
母と同い年の友人が、学校終わってから帰る時に「走るよ!」って一緒にキャッキャ言いながら走って帰ったり
意図してた訳では無かったけれど、20・30・40・50・60代とキレイにひとりずつ参加してた飲み会とか。
仲良くしてたツレがこないだ結婚して、お式で久しぶりに両親とお会いしてとても嬉しくて、ご両親も喜んでくださって、先日お家にお招き頂いたり。ご馳走とお酒が並んだテーブルに、寝る部屋は暖房でずっとあたためてくださってて、電気毛布にフカフカお布団。

そういう思い出とか、ひとつひとつ思い出されて、
(直近のもあるけど)
あっ、なんか私の中に、
そんな色んな人の優しさとか、ぬくもりとか
詰まってるんや
それも私の身体とか心とかつくってくれてるんや、
って思ったら
ポロポロ涙が出てきた。

ままならない状況の中にいると
そういう素敵な思い出とか全然頭から消えて
もういいや何かもう色々どうでもいいや、って
自暴自棄になりそうな時あるけど
そういう愛おしい出来事も間違いなく自分の中にあって
そしてそれを、一緒につくってくれた人がいて
そしてその出来事も、間違いなく自分をつくってる構成要素になってるんや
と思ったら、なんか、自分大事にせなアカンっていう言葉が少し実感として腹落ちしたような気がした。

連絡来て嬉しい上に、思い出せたし気づけて嬉しいし、ボロボロ泣いてカタルシス、、、一石何鳥ですか😭

ありがとう。。。

褒めてあげてほんまに。

厳しいことを言って発奮させる方法が有効な場合もあるのかもしれないが、ワシは褒められるのが好きじゃ。
自分の中で「あら、、以前と比べると良くなったかもしれないわ、、、」と思うことの発端は大体褒められたことである。けなされて、とか、もっと頑張れ、と言われて改善されたことなどほぼほぼない。自分はダメなんだ、まだまだなんだ、ってヘコむことがほとんどだった。

褒められ慣れてないと、他の人も褒められないのよね。だって褒めてもらったこと少ないから褒め方もよー分からんし、自分も褒めてもらえてないのに何でお前のこと褒めなアカンねんってなるし(←こんな状態の時はそもそも褒めポイントを見つけるっていう気にもならないどころか、粗探しのスキルが著しく上がる。)

私は大人になって、仕事し出すようになってからすごく救われたと思う。えっ、こんなことで褒めてもらえるの、っていうことが山ほどあった。いじられキャラも嫌いじゃないし、おいしいと思ってるとこはあるけど、やっぱり自分の心の安定やら成長は褒められたこと起因の方が圧倒的に多い。それに伴って、人のいいところを見つける能力もブラッシュアップされたと思う。

なので今までも何度も書いているけれど、やっぱり基本は褒めてあげた方が絶対にいい。適切に認めてもらえた経験は、人を強く優しくする。そして、他の人にも与えられるようになる。んで、褒められて喜んでる姿を見て、褒めた側もまた嬉しくなったりするし。ぐるぐる回るどころか広がるのじゃよ。

ただひとつポイントとしては、自分が本当にそう思ってることを褒める、ってことかな。
本心でない褒め言葉は、相手にも見抜かれるし、自分も疲弊するしね。

けどもうほんと、褒め文化が発展しますよーに。
お金もかからんしな~。笑

ひとり焼肉と痴話喧嘩

私は肉を焼いている。

一人で大体どんなところでも入れる私だが、ひとり焼肉だけはハードルが高い。まずカウンターがあるところが少ない。しかし何より最近感じるのは、焼肉はひとりだとコスパ悪いんだよね。一品の単価が高いから種類が頼めないっていう。(1枚ずつ頼めたり、回ってたり、ひとり用のお店もあったりはするけれど。)

ひとり焼肉と言えば以前友達が、ひとりで焼肉屋に入る時に、途中でかかってきてもいない携帯に出るふりをして、あたかも来る予定だった友達が来なかった風を装ったと話していたのだが、、、私もその経験があったのでめっちゃウケた。さらに私なんかあれやからね、淀川の花火あるの知ってて見たくてひとりで行ったのに、あくまで仕事帰り「あっ今日花火やったな~忘れてたぁ!」ってなった人装ったことあるからね!!!!!だっれも見てない小芝居ひとりで打ってやったわ!!!


で、今日は堂々とひとり焼肉を実施している訳だが、各席に半個室のような仕切りがある(私の席だけだいぶオープン。。)。
で、向かいの仕切りの中から、女性の涙混じりの叫び声的なものが聞こえてくる、、初めは食器も二人分っぽいし、ああ私より少し上のカップルの痴話喧嘩か、と思っていたのだが、、よく見ると

向かいの席の方がいらっしゃらない。
(  Д ) ⊙ ⊙

ツレの方と色々あってツレの方が先に帰って友人に電話で聞いてもらってんねやろなーとかいう思いとか叫び声とかそんなのもろもろと煙に包まれながら、私は肉を焼いている。

真摯な人生が紡ぎ出す言葉

自分から話しかけることも多い方だとは思うけど、話しかけられることも割と多いと思う。
(ひとりでウロウロしてることが多いからかもしれないけれど。)
ということでスーパー銭湯の露天風呂に入っていたら、おばあさんが話しかけてきてくださった。

私はね、身寄りには頼れなかったから、自分のことは自分のお金できちんとしておきたかったの。
でも、周りからしたらワガママだったかもしれないわね、お産でもみんなが1~2週間で出るところを、私は帰っても誰にも頼れないからね、「1ヵ月いさせてください!」って頼んだりね。笑
だけどね、自分の信念を持って決めてきたからね、ああしておけばよかった、とかは無いのよ。
私の主人は身体障がい者だったの。だからね、また頑張んないとってね。
主人を看取ってから17年になる。主人が最期ね、病院じゃなくて家に帰りたい、帰りたいって。私もすごく悩んだんだけど、息子にもね、「それは自分で決めなさい」って言われたの。それでね、家で過ごしたんだけど、最期は「幸せだ、幸せだ」ってずっと言ってくれてた。
77才で車の免許は返上したの、自分が何か事故でも起こしたら、子供達に迷惑がかかるな、と思ったから。
だけどバスも上手に使うと便利よ!楽しいわよ!
最近はね、自分だけのことを考えてる方多いでしょう、だけどね、やっぱりね、人のために何をしてあげられるか、だと思うわよ。そっちに考え方を切り替えないとね、やっぱり大変だと思う。
よくお友達も家に遊びに来てくれるの。
うちの家、日当たりもよくてね、風もよく通って、窓からは花火大会が見えたの。
ああ、幸せだなあ、って。幸せよね。

そんなおばあさんは83才。
ボーイフレンドと一緒にお風呂にいらしてた。

私、本を読むのが大好きだけれど、
人生を真摯に生きてこられた方のお話には、名著と呼ばれるものに記されていることと同じことが含まれることが往々にしてある。

しかしおばあさん、かっこよすぎ。
そらボーイフレンドもおるわ。

「今日はあなたみたいないいお顔の人とお話ができてよかった、ありがとう」

最後のセリフまでかっこよすぎ。
おばあさん、、、こちらこそ、ありがとうの言葉すら何だか薄っぺらいです。言葉は心を越えない…
でも、ありがとうございました!!!!!

抽象と具象

抽象と具象を自由に行き来できる人、が賢いと思う人のひとつ。

具体的事象からエッセンスを抽出できて、かつそれを様々な具体的事象に当てはめられること。

抽象に偏り過ぎて尊大になるのもふむ…?と思うし
具象に囚われて俯瞰できないのもふむ…と思う。

抽象も具象もどちらも必要で、それは選択ではなく両輪なのだ。

ぷいぷいぷーい。(←言いたかっただけ)

七夕さん

七夕さんでしたね。

小さい頃は1年に1度しか会えないなんてかわいそう、少し大きくなってからは年に1度の逢瀬がよりによって梅雨の時期なんて、、と思いながら夜空を見つめていましたが、ある本で人間の寿命に換算すると〇秒に1度の割合になると知って「わははそれならたまに会われへんくても大丈夫かw」と思えるようになりました。w

でもきっと、織姫と彦星に自分を重ねたり、何かを思い出したり、切なくなったりじんわりきたりホロッときたり逆に今の幸せを噛みしめたり、色んな思いを抱えながら夜空を見ている人がいるかもな、と思うと何とも愛おしいなと思いました。

どんな思いを抱えていても、幸せに幸せになってほしいな。

※空を撮ったけれども全く何もうつっていないこの残念さをどうぞお楽しみください。w